孫根城・大桑城(豊田市)

行程的には前回の続きです。

孫根城は大沼城から東へ2kmくらいですぐ近く。地図で見るとわかるが三方を川に囲まれたいかにも要害といった地形で、川のない南側から登る。登っていくと神社があり、その境内に当たる場所が道幅も広くなっており、空きスペースに車を停められる。道路から北へ外れてそのまま尾根伝いに城域に入る形。

孫根城入口

尾根をそのまま城にしているので、幅の狭い曲輪と堀切とで構成されている。堀切はなかなか規模が大きく、幅が広い。

孫根城堀切

2つほど堀切と曲輪を超えると段々になっている小さな曲輪群。高低差も面積も妙に小さいのでもう少し削って合わせて1つにしてもよさそうな感じではあったが、何か役目があったのだろうか…。

そうしてたどり着く本曲輪。ここはなかなか高さがあり、6,7mくらいありそうな感じ。

本曲輪を見上げる

元々の地形なのだと思うけれども、見事にお誂え向きな地形であったものだと思う。削って盛ったのだとしたら結構な土木量だと思うのでこれまたたいしたもの。本曲輪はさすがに面積も広く、そこそこの人数が駐屯できたものと思われる。この尾根で最も高所でもあり、当時は周囲の木もなかったであろうから、監視の拠点としてもうってつけだっただろうことは容易に想像がつく。案内版によると本曲輪の奥に堀切があるようだったが、うまく視認することができなかった。

 

続いてさらに車で数分東へ、大桑城。

巴ヶ丘小学校のすぐ脇にあるので小学校を目指せばよい。小学校へたどり着く手前に専用の駐車場あり。駐車場からは城跡への専用見学路があるので迷う余地なし。

大桑城への見学路

大桑城は小学校のいわゆる裏山に当たるところにある。専用路があるのも、逆に道なき道を登られて小学校に迷い込まれるのを防ぐ役目もあるのだろう、まあこのご時世だからね…。

ということで、5分も歩くとすぐ到着。左右を横堀に挟まれ土橋状になっている虎口から侵入する。方形の曲輪がひとつと、非常にシンプルな作り。しかしながら城内はよく整備されており、堀も土塁といった遺構も明瞭。

土塁

案内板には「歴史学習の森」とあり、柵やベンチもあるところから、おそらく隣の小学校の校外学習の題材にでもなっているのであろうと思われる。そう考えると、お城と言ったら天守を思い浮かべる普通の人に「山城ってこういうのなんだよ」という超入門編としてはうってつけではないだろうかと思った。車降りてからのアクセスも抜群にいいしね。


ということで旧下山村の3つの山城を続けて回りました。全て対武田の最前線で全て落とされたらしいということ。このあたりはちょうど三河のど真ん中あたりで、ここまで武田に攻められていたということを知識としては知っていたんだけど、地図で確認すると改めて相当切り取られていたんだなあと実感する。なぜか、やられてたとは言っても奥三河、せいぜい長篠や新城あたりまででしょ?というイメージを持ちがちなんですよね。自分だけかな。徳川vs武田の最前線の城はこのあたり山ほどありそうなのでまた時間を見つけて回ってみたいですね。

 

大沼城(豊田市)

下山村にある3つの城を訪れました。昨年後半はほとんど山の中に行かなかったので久しぶりの山城です。どれも車からのアクセスが極めて良好だったのでほぼほぼ午前中で周れました。

まずは大沼城。この後の2つともそうだけど、このあたりは徳川vs武田の最前線。全部武田に落とされたようだが…。

大沼城案内板

3つの内ではこの大沼城が最も規模が大きく、北へ足助、東に作手・設楽、南に岡崎、西には松平郷という道の合流点にあるので、この付近では拠点的な城だったのかなという感じ。特に松平郷からは10km少々と非常に近く、武田に落とされて大丈夫だったのかしらと思わなくはないけど、一地方大名の発祥の地という程度では攻め落として旨味のあるところではなかったということか。

登り始めてすぐに「三の丸跡」という看板のある曲輪。まあ当時は三の丸とは呼ばれていなかったと思うが…。そしてさらに登ること数十秒(近い)、「二の丸跡」に到着。

二の曲輪

この城で一番広く、200人やそこらは駐屯できそうなくらい。ひょっとしたらちょっとした建物くらいはあったかもしれない。

で、ここからもう少し登ると本丸なのだが、ここまできれいに整備されていたのが急に興味なくなっちゃったのか、本丸はなぜか下草もいまいち刈られておらず。一応「大沼城跡」という看板だけ立っていたが、全体としてはなんとか曲輪とわかる程度。どうしちゃったのか…。

本丸の裏には大きな堀切があり、こちらはなかなか見ごたえあり。写真だと奥行がよくわからない感じにしか写らないのが難しい。

本丸奥の堀切

残っていた土橋越しに堀切を渡っていくとさらに高いところに小ぶりの曲輪が計4つあり、3つ目の曲輪が最高地点になる。この曲輪には祠があり、土塁が見られた。いかにも詰の曲輪という感じ。

土塁

祠はまずまずきれいにされており、さらに奥、一段降りた曲輪の先に下山できそうな道があったので、そこからお参りに来ている人がいるのであろうという感じ。

最初に書いたように車降りてすぐ城域に入れること、また比較的狭い範囲に曲輪が集まっており短時間で一回りできるので、まあまあ気軽に回れる山城だとは思う。もちろん山城なので一歩間違えたら危ないかもしれないところはあるけど。

 

ということで、自己紹介除いて初記事でした。この日全部で4つ回ってますがとりあえず1つで1記事。こうやって文章書くの久しぶりなので、探り探りで。

はじめましてのご挨拶

ご挨拶

どうもはじめまして、「いづしろ」といいます。

ニコニコ動画で旅m@sなるジャンルの動画をアップロードしていた関係で「車中泊P」という名前もありますが、こちらではそっち方面の話題は(たぶん)出しませんので、新たなハンドル名を名乗ろうと思います。まあ、どちらで呼んでもらってもかまいません。

このブログについて

城攻め、特に山城攻めを趣味としていますので、そのあたりの話題を中心にします。この趣味自体10年以上続いており、著名な城は概ね訪れてしまっていること、また山城の方が好きということで、必然的にいわゆる有名な城の出番は通常よりは少なく、マイナーな城が多くなりますがご了承ください。

また城攻め抜きにしても旅行は趣味ですので、お城関係ない話題もちょいちょい投稿すると思います。

基本的に訪れた経験は記憶にとどめるようにする主義でしたが、容量オーバーでとても覚えていられなくなることが増えたため、こういうアウトプットの場を再び求めることにしました。ということで備忘・書き散らしに近いものになりますがあしからず。

その他の趣味について

個人的には以下のようなものを好んでいます。が、このあたりはブログのネタにはしないと思います。たぶん(弱気)。基本twitterでやります。

 

ということで、これからよろしくお願いします。